東京地方裁判所 昭和53年(ワ)9819号 判決 1980年4月08日
原告 奥山雅美
<ほか四名>
右原告ら訴訟代理人弁護士 大森正樹
被告 小田急バス株式会社
右代表者代表取締役 鶴川一郎
右訴訟代理人弁護士 松本才喜
主文
一 被告は原告奥山雅美に対し、金四四万円及び右金員に対する昭和五一年一〇月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告奥山雅美のその余の請求、原告奥山佳奈、同奥山亜生、同奥山シズイ、同奥山知子の各請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は原告らの負担とする。
四 本判決は、原告奥山雅美勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告奥山雅美に対し金三八〇〇万円、原告奥山佳奈、同奥山亜生に対し各金二〇〇万円、原告奥山シズイに対し金三〇〇万円、原告奥山知子に対し金二二〇万円及び右各金員に対する昭和五一年五月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの各請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 (事故の発生)
昭和五一年五月四日午後八時四五分ころ、原告奥山雅美(以下原告雅美という。)が東京都武蔵野市吉祥寺南町一丁目一番二号附近市道を歩行していたところ、訴外坂下喜一の運転する営業用大型バス(多摩二う七七七、以下被告車という。)の左先端部が原告雅美に衝突し、右衝撃により同原告は失神昏倒し、その結果、左眼視路障害、鞭打ち症等の傷害を受け、同月五日から同年八月五日まで訴外東京医科大学病院に入院して治療を受けたが、視路障害は遂に治癒せず、このため現在も全盲とほとんど変らない手動弁の視力を有するのみで、将来ともこれが回復の見込みはない。
原告雅美の左眼視力が手動弁の状態であること(右眼は事故前から無眼球症)は、同原告が前記入院中二度にわたって激痛を伴う大脳視中枢に酸素を送り込む治療を受けたほか、生命の危険を伴う大脳を切開して視神経をつなぐ手術を希望したこと、事故後ヘレンケラー学院に通学してマッサージ師、針灸師の資格を取得すべく勉学中であることからも明らかで、決して詐盲ではなく、同原告の視力が手動弁の程度で、しかも生来運動神経が発達しているところから、外出時の行動によって詐盲ということはできない。
2 (責任)
被告は被告車を保有し、これを自己のために運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法三条に基づき本件事故により生じた後記損害を賠償すべき義務がある。
3 (損害)
(一) 入院雑費
原告雅美は本件事故による受傷のため前記のとおり昭和五一年五月五日から同年八月五日まで入院治療を受け、その間一日当たり金四〇〇円の割合による雑費を支出したが、内九〇日分合計金三万六〇〇〇円を請求する。
(二) 近親者付添費
右入院期間中、同原告に、母の原告奥山シズイ(以下原告シズイという。)が付添ったので、右付添費として一日当たり金二〇〇〇円の割合による九〇日分合計金一八万円を請求する。
(三) 逸失利益
原告雅美は、本件事故当時、ロープ類の外交販売を営み、毎月金二〇数万円の収入を得ていたところ、本件事故により前記のとおり左眼視力が手動弁の程度となる後遺障害が残存し、独りで歩行することもできなくなったので、マッサージコース二年、その後の針灸コース三年の勉学を経て、マッサージ師、針灸師等の資格を得、それによって生計を立てるべく昭和五二年四月ヘレンケラー学院に入学し、現在勉学中である。
したがって、本件事故時から右修了予定時である昭和五七年三月までの七一か月間は全く収入を得られないので、その間の逸失利益については一か月金二〇万円を基礎とし、またその後は針灸師、マッサージ師等の資格を得て六七歳までの二九年間毎月金六万円の収入を得られると仮定すると、その間毎月金一四万円の割合による減収となるので、その間の逸失利益については一か月金一四万円を基礎とし、それらの額から年五分の割合による中間利息をライプニッツ方式により控除して本件事故時の現価を求めると、その額は合計金三〇九六万二九二〇円となる。
(四) 原告雅美本人の慰藉料
(1) 入院慰藉料
原告雅美は、前記のとおり受傷して入院治療を受け、これにより精神的苦痛を被ったが、これが慰藉料は金五八万七二五〇円が相当である。
(2) 通院慰藉料
同原告は、右入院を終えた後も二か月間にわたってほぼ七日に一度の割合で通院治療を受け、これにより精神的苦痛を被ったが、これが慰藉料は金一四万円が相当である。
(3) 後遺障害慰藉料
同原告は、本件事故により前記のとおりの後遺障害が残存し、生涯回復の見込もなく、多大の精神的苦痛を被ったが、これが慰藉料は金九〇〇万円が相当である。
(5) 近親者固有の慰藉料
原告奥山佳奈(以下原告佳奈という。)、原告奥山亜生(以下原告亜生という。)は原告雅美の子、原告シズイは原告雅美の母、原告奥山知子(以下原告知子という。)は原告雅美の妻であるところ、原告雅美が本件事故により前記の後遺障害を受けたため、多大の精神的苦痛を被ったが、これが慰藉料は原告らそれぞれにつき金二〇〇万円が相当である。
(六) 原告シズイの付添費
原告シズイは、九州長崎に居住していたが、原告雅美の受傷により同原告が自立できるようになるまで身の回りの世話一切を引受けざるを得ないようになったので、右九州の住居を引払って上京し、今後数年間同原告の付添をする予定であるところ、右住居移転費及び今後の付添費として金一〇〇万円を請求する。
(七) 弁護士費用
原告らは本件訴訟の提起、追行を原告ら訴訟代理人に委任し、右費用として原告雅美は金三〇〇万円、原告知子は金二〇万円をそれぞれ支払う旨約した。
よって、被告に対し、本件事故による損害賠償として、原告雅美は右3(一)ないし(四)、(七)の損害合計金四三九〇万六一七〇円の内金三八〇〇万円、原告佳奈、同亜生はそれぞれ右3(五)の損害金二〇〇万円、原告シズイは右3(五)、(六)の損害合計金三〇〇万円、原告知子は右3(五)、(七)の損害合計金二二〇万円及び右各金員に対する本件事故後である昭和五一年五月五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1の事実中、昭和五一年五月四日午後八時四五分ころ、訴外坂下が被告車を運転して原告ら主張の道路を走行したこと、原告雅美が同時刻ころ同道路を歩行していたこと、同原告が昭和五一年五月八日(同月五日ではない。)から同年八月五日まで訴外東京医科大学病院に入院したことは認めるが、原告雅美が被告車の左先端部で衝突され、右衝撃により失神昏倒した事実は争い、その余の事実は知らない。被告車は原告雅美に接触していない。また、同原告の左眼についてはいずれの眼科的他覚的精密検査の結果では異常がなく、同原告の外出時の歩行状態が通常人と変らないところからしても、その視力障害は詐盲の疑いがある。
2 同2のうち、被告が被告車を保有し、これを自己のために運行の用に供していたことは認めるが、その余は争う。
3 同3の事実は知らない。
三 抗弁
原告ら主張に係る原告雅美の受傷が、仮に被告車の運行により発生したものであるとしても、訴外坂下は幅員七メートルの本件道路を時速一五キロメートル(制限速度毎時二〇キロメートル)で進行していたところ、左側小路地から、酒気を帯びた原告雅美が、突然ふらふらと出てきたので直ちに急制動をかけ、同原告に接触、衝突することなくその手前で停止したもので、被告及び訴外坂下は被告車の運行に関し注意を怠っておらず、本件事故の発生は専ら同原告の故意又は過失によるものであり、かつ、被告車には、構造上の欠陥又は機能の障害はなかった。
四 抗弁に対する認否
抗弁事実は争う。本件事故現場は、歩車道の区別のない交通頻繁な商店街の道路で歩行者の通行により雑踏しており、かつ左右の見通しが利かず交通整理も行われていない交差点の直前に位置しているうえ、本件事故当時は夜間であったのであるから、訴外坂下は被告車を運転するに際し、歩行者が現われれば直ちに停止できるよう、よく注意して徐行しなければならなかったのに、漫然時速一七キロメートルで進行したばかりか、原告雅美の動向に注意を払わず、かつクラクションも鳴らさなかったものであり、同訴外人の過失は重大である。他方、同原告は当時酔っておらず、右交差点に歩行進入しようとしたことに何らの過失もなく、仮にそうでないとしてもその過失はごく軽微である。
第三証拠《省略》
理由
一 《証拠省略》を総合すると、昭和五一年五月四日午後八時四五分ころ、訴外坂下は被告車を運転して東京都武蔵野市吉祥寺南町一丁目一番二号先道路(以下本件道路という。)を西方から東方に向け時速一七キロメートルで進行していたところ、進路前方左側の幅員一・四メートルの路地から本件道路に出てきて、そのまま道路を横断しようとした原告雅美を左前方約五メートルの地点に発見したので、直ちに急制動をかけたが間に合わず、被告車の左先端部が同原告に衝突し、そのため同原告がその場に倒れるとともにその内容はともかくとして受傷したことが認められ、《証拠省略》中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右する証拠はない。
二 ところで、被告が被告車を保有し、自己のために運行の用に供していたものであることは当事者間に争いがないところ、被告は本件事故につき被告及び訴外坂下に過失はなく、同事故は専ら原告雅美の故意又は過失により発生したものであるから被告には責任がない旨主張する。
前掲各証拠によると、本件道路は通称すずらん通りと呼ばれる交通頻繁な吉祥寺駅近くの商店街道路で、幅員が七・一メートル、そのうち北側一・六メートルが白線で仕切られた路側帯となっているだけで歩車道の区別がなく、また東方への一方通行及び時速二〇キロメートルの速度制限の各規制がなされていることが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。
右認定事実に前記認定の事故の態様とを総合すると、訴外坂下としては、本件のような交通頻繁でしかも幅員の狭い商店街道路を被告車のような大型バスを運転して進行する場合には、いつ歩行者が進路前方に出てくるかも知れないことを予想し、そのような場合には直ちに停止できるよう時速一〇キロメートル程度に減速徐行して進行すべき注意義務があったのにこれを怠り、漫然時速一七キロメートルの速度で進行した点に過失があり、これにより本件事故が発生したものというべきであるから、その余の点について判断するまでもなく被告の免責の主張はその理由がないものといわなければならない。
そうであるとするならば、被告は自動車損害賠償保障法三条に基づき本件事故により生じた後記損害を賠償すべき義務があるものというべきである。
三1 次に、《証拠省略》を総合すると、原告雅美は、本件事故により、頭部打撲、右肩打撲、頸椎捻挫の各傷害を被ったことが認められ、右認定を左右する証拠はない。
2 ところで、原告らは、以上のほか、原告雅美が本件事故により左眼視路障害の傷害を被り、このため現在も手動弁の視力を有するにすぎず、将来も回復の見込みがない旨主張する。
そこで、この点について判断するに、(一)《証拠省略》を総合すると、原告雅美は、昭和四一年一〇月ころ外傷による眼球破裂のため右眼の摘出手術を受け、本件事故当時既に右眼は無眼球となっていたものであるが、本件事故日の翌々日である昭和五一年五月六日、訴外秀島病院で受診した際、もう一方の左眼についてもぼやけて霞んで見える、いわゆる霧視を訴え、その後その治療のためとして受診した各病院でも同様霧視を訴えたので、各病院でそれぞれ視力検査がなされたが、その結果は、昭和五一年五月七日、東京医科大学病院での外来初診時が〇・〇四(マイナス三・五デオプターの凹レンズによる矯正後〇・一五)、同病院入院後の同月一四日が〇・〇一(前同矯正後〇・〇四)、同月二二、二三、二六日がいずれも〇・〇一(前同矯正後〇・〇二)、同月二七、三一日、六月二日がいずれも〇・〇一(矯正不能)、同月三日が三〇センチメートルの距離でランドルト環を読める程度(矯正不能)、五日が〇・〇一(矯正不能)、七日が二五センチメートル指数弁(矯正不能)、一〇日が二〇センチメートル指数弁(矯正不能)、一四日が一五センチメートル指数弁(矯正不能)、一六日が光覚弁ないし五センチメートル指数弁(矯正不能)、一七、一九、二一、二四、二八日、七月二、六、一二、一四、一八、二〇、二六、三一日がいずれも光覚弁(矯正不能)、同病院退院後の同年八月二七日、九月二二日がいずれも対光反応(+)、この間同病院の紹介で受診した関東労災病院での同月一三日の検査では明暗弁(矯正不能)、その後再び通院した前記東京医科大学病院外来での一〇月二九日が五〇センチメートル手動弁(矯正不能)、一二月二〇日が三〇センチメートル指数弁(矯正不能)、昭和五二年二月二二日が一五センチメートル手動弁(矯正不能)ということであったほか、この間、同年一月一八日、東京都心身障害者センターでの検査結果では手動弁(矯正不能)、その後、同年二月二八日の東京都立大久保病院での検査結果では手動弁(矯正不能)、昭和五三年一一月一六日から翌五四年一月一八日にかけて合計四回にわたり通院受診した日本大学医学部附属板橋病院での検査結果では三〇センチメートル手動弁(矯正不能)、昭和五四年八月一三日、東京都心身障害者福祉センターでの検査結果では四〇センチメートル指数弁ということであったこと、また当裁判所の東京労災病院に対する鑑定嘱託の結果(昭和五四年九月二八日付け回答)によると、同病院での視力検査では〇・〇一(矯正不能)ということであったこと、また(二)《証拠省略》によると、原告雅美は東京都から、昭和五二年一月二〇日付けをもって、障害名を「右 無眼球、左 皮質盲(右 〇・左 手動弁)」とし、身体障害者等級表による級別を一級とする身体障害者手帳の交付を受けていること、更に(三)《証拠省略》を総合すると、原告雅美は昭和五二年一月一〇日から同年三月二〇日まで、盲人に対する職業訓練機関である訴外社会福祉法人東京ヘレンケラー協会附属ヘレンケラー学院主催の点字講習会に出席し、同年四月からは同学院一学年に入学し、マッサージ師、針灸師の資格取得のため勉学を一応続けていることがそれぞれ認められ、他に右各認定を左右する証拠はない。
そして、右(一)ないし(三)の事実に《証拠省略》を併せると、原告雅美が現在視路障害により手動弁程度の視力しか有しないとの原告ら主張事実が推認できなくはないように考えられる。
しかしながら、(四)《証拠省略》を総合すると、眼科診療上の諸検査は自覚症ないしは患者の訴えや応答によって左右されるものが少くなく、前記視力検査なるものも同様で、被検者の応答に則し、そのとおりの趣旨を検査結果として記述するものであり、したがって、右視力検査において、仮に被検者が、(その動機はともかく)自己の認識と異なる応答を敢えてするときは、当然の帰結として、当該検査結果は被検者の現実の視力を反映しないこととなる欠陥があること、(五)《証拠省略》によると、原告雅美が東京医科大学病院に入院中、同病院において原告雅美の左眼につき眼圧検査、眼底検査、細隙灯顕微鏡検査、網膜電気図による検査、眼球運動検査、光覚検査等の他覚検査を行ったが、いずれの検査結果でも異常が認められなかったこと、(六)関東労災病院に対する調査嘱託の結果によると、関東労災病院の深道義尚医師が東京医科大学病院松尾治宜医師の依頼に基づいて、昭和五一年九月一三日及び同月一六日の二日にわたって原告雅美の左眼につき、瞳孔反応検査、眼圧測定、細隙灯顕微鏡による眼球内各組織の精査、眼底検査を行ったが、視力障害に相当する異常は全く認められなかったこと、(七)日本大学医学部附属板橋病院に対する調査嘱託の結果によると、同病院で昭和五三年一一月から昭和五四年一月にかけて原告雅美の左眼につき眼底検査、フリッカー検査、ERG検査を行ったが、視力障害説明をしうるような眼底の変化、ERGの変化は認められなかったこと、更に(八)当裁判所の東京慈恵会医科大学附属病院及び東京労災病院に対する各鑑定嘱託の結果によると、いずれも昭和五四年に原告雅美につき諸検査を行ったところ、同原告の左眼は、外転時にやや運動制限を呈し、かつ検影法でマイナス四・〇デオプター程度の近視が検出されたものの、近方視力(遠方視力とほぼ平行する)測定では一二センチメートルの距離で近似値〇・一の視力が得られたうえ、外眼部、中間透光体、眼底にいずれも異常所見がなく、網膜電位図、筋電図にも異常所見がなく、視運動性誘発眼振図では正常波形に比し解発が悪く櫛歯状であるが反応を示し、視覚誘発脳波についてはほぼ正常の波形を示し、しかもこの場合、市松模様の図形刺激によるパターンリバーサル刺激を行うと、裸眼のときに比較し、マイナス四・〇デオプターの凹レンズを装用させたときの方がより正常波形に近い脳波パターンが認められ、かつ右は再現性があり、また安静時脳波ならびに視束管のレントゲン線撮影においても異常所見がなく、赤外線瞳孔計検査では瞳孔面積がやや小さいが対光反応は良好で、なお神経内科的診断でも異常所見がなく、結局他覚的検査上、原告雅美の左眼には視路障害ないし視力障害を裏付ける異常所見が全く検出されなかったことがそれぞれ認められ、以上の各認定を左右する証拠はない。しかも、(九)《証拠省略》を総合すると、原告雅美は、昭和五三年一月三一日午前一一時四五分ころ、東京都調布市佐須町六七二番地所在の同原告方居宅を、徒歩により独りで出発し、理髪店で散髪を済ませたうえ、京王帝都電鉄国領駅まで赴いて電車に乗車し、同つつじヶ丘駅で一旦下車して平和相互銀行つつじヶ丘支店に立寄った後、再び同駅の階段を上がって電車に乗車し、新宿駅に到着するとそこから国電に乗り次いで東京駅で下車し、更に同駅で新幹線に乗車のうえ岡山まで単身旅行したこと、同年五月二六日朝、同原告は、都内高田馬場所在の前記ヘレンケラー学院に登校したが、当日も独りで前記居宅を徒歩で出発し、調布市国領町内の国道二〇号線の信号のある横断歩道を渡ったうえ、通勤客等で混雑する新宿駅において同駅西口地下道から階段を上がり、早稲田行き都営バスの停留所まで赴き、そこでバスを待つ乗客の列最後尾付近に至り、次いでバスに乗り込んだこと、右各外出時において、原告雅美は黒眼鏡を装着したうえ、盲人用白杖こそ携帯していたが、何ら他人の介護もないまま、晴眼者の場合に比較してもさしたる遜色のない歩行速度で、かつ方角上の誤りも犯すことなく、道路、横断歩道等を無事通行し、雑踏の中で他の通行人や障害物などに妨げられることもなく、晴眼者と同様に駅の階段を上ったり、電車やバスに乗車したりしていること、また、同原告は、前記のとおり昭和五一年八月五日に東京医科大学病院を退院した後、同年九月までは妻である原告知子らが、その後昭和五二年夏までは母である原告シズイが、それぞれ、前記居宅において原告雅美と同居していたが、昭和五二年夏ころから昭和五三年三月ころまでの期間は、ほぼ全期間にわたり、前同所において単身生活を営んでいたことがそれぞれ認められ、《証拠省略》中右認定に反する部分は措信できず、他に右各認定を左右する証拠はない。
そして、以上(四)ないし(九)の各事実の存在を考えると、(一)ないし(三)の事実及び前記証言、各原告本人の供述に原告ら主張の原告雅美が二度にわたる手術を受けた事実及び開頭手術を希望したとの事実を附加したとしてもそれらから直ちに、原告雅美の左眼につき、原告ら主張のような視路障害やこれによる視力障害の存在を推認することは到底できないものというべきである。
なお、東京労災病院に対する鑑定嘱託の結果中には、検査結果からは中枢性の視力障害と考えざるを得ない旨の部分があるけれども、右は検査結果から心因性視力障害もしくは詐盲と断定することができないうえ、視路障害を裏付ける他覚的異常所見が発見できないのに本人が視力障害を訴えるところから、結局右のように考えざるを得ないとの趣旨にとどまるもので、特に客観的根拠に基づくものではないことがうかがわれるから、右鑑定結果部分は採用できない。
もっとも、一般に器質的障害がなくても心因性の視力障害によって視力が失われる場合がないわけではなく、前記東京慈恵会医科大学附属病院に対する鑑定嘱託の結果中に、経過観察によると原告雅美の場合心因性による視覚障害を印象づける旨の部分があるが、右は同原告に視力障害が存在することを前提としたうえで一般的印象を述べたにすぎないと認められるうえ、《証拠省略》によると、原告雅美が前記東京医科大学病院に入院していた間に同病院の精神神経科で同原告の心因反応を検査したところ、正常の範囲であったことが認められ、更に東京労災病院に対する鑑定嘱託の結果によると、原告雅美の場合、視野に変動性があるが、定型的な心因性の視野変状でないために心因性の視野及び視力障害と断定できないとのことであるから、前記鑑定嘱託の結果部分も直ちに採用することはできず、他にこれを認めるべき証拠もない。
その他本件各証拠を総合検討しても、原告雅美が本件事故後手動弁程度の視力しか有しなくなったとの事実はもとより視力の低下があったか否かの事実もこれを確定することができないから、結局原告雅美が本件事故によって被った受傷は前記頭部打撲、右肩打撲、頸椎捻挫にとどまるものと認めざるを得ない。
四 そこで右の範囲における損害について判断する。
1 入院雑費
原告ら主張にかかる入院は、前記三における認定判示から明らかなように、本件事故による受傷に基づくものと認めることはできないから、右入院が本件事故によるものであることを前提とする右入院雑費の請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がないものといわなければならない。
2 入院期間中の近親者付添費
原告ら主張にかかる入院は前記のように本件事故による受傷に基づくものと認めることができず、また、本件事故による受傷のために付添看護を要したものとも認められないから、右付添費の請求はその余の点を判断するまでもなく理由がないものといわなければならない。
3 逸失利益
《証拠省略》を総合すると、原告雅美は本件事故当時ロープ類等の訪問販売を営み、これにより毎月平均金二〇万円以上の収入を得ていたことが認められる(右認定を左右する証拠はない。)ところ、《証拠省略》によれば、本件事故による前記受傷のため、昭和五一年六月五日までの一か月間休業を余儀なくされ、その間収入を得ることができなかったと認めるのが相当である。したがって、本件事故による同原告の得べかりし利益喪失による損害は金二〇万円とみるべきである。
4 原告雅美の慰藉料
原告雅美が本件事故により受傷したことは前記三において認定判示したとおりであり、これが慰藉料は金二〇万円が相当である。
5 近親者固有の慰藉料
原告佳奈、同亜生、同シズイ、同知子は原告雅美の近親者としてそれぞれ固有の慰藉料の賠償を求めているが、原告雅美が本件事故によって被った受傷の程度は前記三に認定判示した範囲にとどまるものと認めざるを得ない以上、その生命が侵害された場合に比肩し得べき受傷とは認められず、近親者固有の慰藉料請求権は発生しないものというべきであるから、右請求はその余の点については判断するまでもなく理由がないものといわなければならない。
6 原告シズイの付添費
原告雅美の本件事故による受傷の内容、程度は前記三における認定判示の範囲にとどまるものと認めざるを得ないところ、右傷害内容からすれば、原告シズイによる付添看護及びこのための住居移転を要したとは到底認めることができないから、右付添費の請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないものといわなければならない。
7 弁護士費用
弁論の全趣旨によれば、原告雅美は本件訴訟の提起追行を原告ら訴訟代理人に委任し、報酬を支払う旨約したことが認められ、本件事案の性質、経緯、認定額等を考慮すると、同原告が被告に対して支払を求め得る弁護士費用は金四万円が相当である。
五 以上の次第で、被告に対する原告らの本訴各請求は、原告雅美が損害賠償として金四四万円及び右金員に対する昭和五一年(ワ)第八三一六号事件の訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五一年一〇月二一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを正当として認容し、同原告のその余の請求及び原告佳奈、同亜生、同シズイ、同知子の各請求はいずれも理由がないから失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九三条、九二条、八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小川昭二郎 裁判官 福岡右武 金子順一)